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髄膜炎、脳炎について実際の体験に基づいて、詳細に説明する

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はい。こんにちは

今日は珍しく、病院のベットからブログを更新しています。

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いやー、私は病弱さに定評がありまして、2年に一度くらいは何かしらの病気で入院しているのですが、今回は痙攣を起こしてからの入院でしたので、ちょっとビビりました・・・。

【2017/05/02 内容大幅修正】

※入院中は頭痛と発熱との戦いで、まともに記事が書けなかった為、完治した今、もう一度詳細に記載し直します。

 でも、最近の病院はネットも揃ってたりと、ブロガーに無駄に優しいですね。

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※こんな感じで、カード課金制でLAN接続出来るのです!

今は大部屋にいるのですが、他の方も結構カタカタしてたりと、仕事に命かけてるな・・・、と感じるこの頃です。

 

では、せっかくのブログですので、今回私が罹った病気について、実体験を基に色々詳しく説明していきましょう。 

髄膜炎、脳炎の体験談

髄膜炎、脳炎について

髄膜炎は持続する頭痛を主な症状とし、発熱、項部(こうぶ)(うなじ)硬直などの髄膜刺激症状、髄液(ずいえき)細胞増加などが認められます。脳炎は、脳実質の炎症を主体とし、発熱、意識障害、けいれん、髄膜刺激症状などがみられます。これらは、両者を合わせた髄膜脳炎としてみられることがあります。 
類縁あるいは同一の疾患群としては、急性脳症、急性散在性脳脊髄炎(さんざいせいのうせきずいえん)、遅発性(ちはつせい)ウイルス感染症などがあります。一般的に予後が悪く、早期の診断、治療が大切です。

頭の後部やうなじの硬直には個人差があるようで、私の場合はほとんどありませんでした。髄液の細胞増加はバリバリ起こっていて、現在も増加中です。後は発熱と頭痛くらいですかね。

痙攣は初め起こった以外は、起こっていないです。

初期症状

まず、私の場合は扁桃腺炎にて、発熱をしていました。私は扁桃腺が人より大きく、よく膿が出て、年に二回ほど酷い発熱をします。

医者に行き、処方される抗生物質と解熱剤を飲めば、いつも2~3日で回復するのですが、今回は喉の痛みが取れても酷い頭痛に悩まされていました。また、通常の扁桃腺炎であれば、喉の炎症が取れれば熱は下がるのですが、相変わらず39度を超える高熱のままでした。

頭痛は今までの人生の中でも感じた事の無い酷いもので、イメージは頭を万力で締め上げている感じでした。 

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より痛みが増したのが日曜日だったので、週明け月曜に午前休を取得して医者に行くつもりでしたが、その日の夜食事中に、痙攣をおこして倒れました。

彼女様と一緒にTVを見ながら、晩御飯の鍋を食べていたのですが、ご飯を箸で掴んで、口の中に入れた時に、眼球が猛烈に上に引っ張られました。

(あれー、何か目が上向くなぁー・・・。) 

その後は、記憶がありません。突如視界がブラックアウトしました。

気付いた時には、救急隊員の方が自宅に来ていて、私を担架に乗せようとしていました。

急に視界が真っ暗になり気付いた時には、見知らぬ人が私を無理やり担架に押し込もうとしていたので、私は酷く混乱しました。

うわぁ!!な、何する!?離せ!! 

隊員の方を掴み、必死に担架から降りようとしますが、上手く力が入りません。隊員の方に『落ち付いて下さい!』と連呼されましたが、私は事態が上手く飲み込めませんでした。

怖い・・・。何が何だか、全く理解できない・・・。

ふと、泣きそうな顔で立っている彼女様が目に入りました。咄嗟に私は彼女様に助けを求めました。 

そこで初めて、私が痙攣を起こして倒れた事。彼女様が喉に詰まった食事を抜いて、気道確保し、救急車を呼んだ事を聞かされました。

正直混濁する意識のなかでは、半分も理解出来ませんでしたが、とりあえず自身の異常が分かり、隊員の方は私に害を与える為に来たのではないと理解した為、不安な心を何とか押さえつけ、暴れるのを止めました。

私はその後、救急車で最寄りの病院まで運ばれ、それから様々な質疑応答や検査を受けました。病院到着後はICUに入れられて、一日様子を見ることになりました。

すぐにCTを撮影され、髄膜が炎症を起こしている事が分かり、大量の点滴を刺され、私は眠りにつきました。

入院中

ICUから一般病棟に移動

ICUは初日のみで、2日目から一般病棟に移動しました。脳は人間の臓器の中でも一番重要な部分です。その為、基本的には雑菌等を弾く機能が備わっています。その為、薬も作用しにくい為、様々な点滴(ソルアセトF輸液、他4種ほど)を使用しています。24時間点滴状態で、脳の腫れを緩和させています。

またMRIを何度も撮影されました。私は4日ほどの入院で既に2回撮られました。退院までに撮影された回数は5回を超えるかと思います。

解熱薬が作用している間はなんとか起きる事が出来ますが、効果がきれると頭痛が猛烈に酷くなり、万力状態になります(万力状態と言ってもこめかみだけが痛いわけではなく、前頭部は常に痛いです)。また例え解熱剤を飲んでいても熱下がらず、毎晩39度を超えていました。

食事について

食事は食べられませんでした。食べても全て吐いてしまう状態で、胃が空っぽになっても、吐いていました。

この時の感覚を分かり易く言うと、ゲップすると嘔吐する状態でした。私は通常時ほとんど吐く事はないのですが、この時は『おえっ』と言うだけで、簡単に口から吐瀉物が出ました。身体が食べ物を受け付けていないと言う事が、人生で初めて実感出来た時です。

食物から栄養を補給出来ない為、点滴を24時間投与され、それを補っていました。正直退院後も予後が悪く、きちんと食事を出来る様になったのは、退院してから1ヶ月ほど経過した後になります。

髄液の採取

脳が炎症を起こしている為、大量に髄液が分泌され、圧力も非常に高くなっていしました。多すぎる髄液は脳を圧迫し、それが頭痛を招いていました。正常は15cmH2Oらしいですが、35cmH2Oとなっており、髄液の圧力を下げる点滴を一日中行っていました。

この点滴をしながら、2日に1回ほど背中に注射をさし、背骨の間に針を通して、髄液を抜いていました。

初回、髄液を抜かれた時は医者も驚くほど、液が飛び出した様で、採取していた医者は思わず驚きの声を挙げていました。

背中に注射を刺す前に、麻酔を刺すのですが、注射が不得手な医者の場合、信じられない程の激痛が背中に走り、涙ながらに耐えていました。

髄液採取後は、比較的頭が軽くなり、頭痛がやや和らいだことを覚えています。

結核性髄膜炎の疑い

経過が悪く、何度か検査をした後に結核性髄膜炎を疑われました。非常に予後が悪い病気で、処置が遅れた場合、死亡率は20~30%になり、例え命が助かったとしても、後遺症が約25%の人に残ると説明されました。

その為、以下の結核薬を処方され、経過を観察される事になりました。

処方された薬・及び副作用
  • リファンピシンンカプセル:胃の痛み、胃部の重圧・不快感、下痢、食欲の変化、吐き気・嘔吐など
  • エブトール  :視力が落ちる、手足のしびれ、色覚異常、全身の紅潮、吐き気・嘔吐、頭痛、発熱、かゆみ、じんましん、視野が狭くなるなど
  • ピラマイド原末:黄疸、関節の痛み、筋肉痛、食欲低下、痛風、吐き気・嘔吐、頭痛、発熱、皮膚粘膜の発疹・炎症、皮膚粘膜の変色
  • イスコチン  :しびれ、むくみ、間質性肺炎、頭痛、目眩、出血傾向、倦怠感、食欲不振、便秘、腰痛、慰部

この薬を飲み始めて、その副作用のひどさに気付きました。人の声が反響して聞こえ、まともに歩けなくなったのです。身体がだるさがより酷くなり、ベッドから殆ど出る事が出来ませんでした。

隔離

結核性髄膜炎の疑いが出た時点で、別病棟に隔離されました。私は部屋から自分の意思で出る事を禁じられ、部屋に入ってくる看護師や医者は全員感染症予防の分厚いマスクをする事になりました。

通常なら、酷い孤独感を感じるかもしれません。しかし、私はひたすら、頭痛と発熱とふらつきと戦っており、そんな事を感じる余裕さえありませんでした。

毛布にくるまり、耐える日々が続きました。トイレに行く、シャワーを浴びる以外は、ほとんどベッドにおり、ひたすら痛みが引くのを待っていました。

正直、この時の記憶がほとんどありません。何故か会社の同期に謎のライン(意味をなしていない文章)を送ったりと奇行をしていたようですが、退院後、同期に指摘されるまで、私はメッセージを送ったことすら、覚えていませんでした。

寝る、トイレに行く、シャワーを浴びる、看護師が来る、医者が来る、それの繰り返しでした。

常に万力で頭をギリギリと締められているような感覚が、私の思考を麻痺させていたのだと思います。

 

長い間隔離された後、検査結果が出て、結核性髄膜炎の可能性が薄い事が分かり、私はようやく一般病棟に移りました。退院前1週間ほどの出来事です。

 

リハビリ

炎症起こしているのが脳なので、最悪後遺症ものこる場合があるようで、脳の機能確認の為に、簡単な検査を毎日しました。

  • ブロックで、指定された形を作る
  • 指定された通りに物を移動させる

まあ、でも簡単なものが多かったです。と言うより上記の検査がクリア出来なくなったら、間違いなく日常生活に支障がでるレベルなので、結構冷や汗かきながらやってました。

初めは手が震えました。薬の副作用でふらつきが酷い為、長時間集中して物事に取り組む事が酷く難しく感じました。

また、簡単な運動(ウォーキング)なども行い、運動機能の確認も実施しました。他に入院している方はご年配の方が多く、一緒になってやっていましたが、この時の私の運動能力は、老人のそれに近しいものがありました。

 

退院後

しばらくまともに歩けませんでした。抗結核薬の副作用か、髄膜炎の後遺症かは、医者も判断しかねた様ですが、目眩、足元もふらつき、食欲減、耳鳴りが本当に酷かったです。

何故か常に背中を前に押されている感覚があり、転倒しかけた事が何度もあります。音がまともに聞こえず、全て反響して聞こえていた為、退院後も、基本的に自宅のベッドで寝たきりで、動く事は最小限に留めました。

食事はウイダーインゼリーや、プロテインなどを飲んでおり、固形物を食べれる様になるまでにしばらく掛かりました。

また、寝たきりの状態が続いた為、筋力が著しく低下しており、自重を支えることも困難な状態で(退院時に足の筋力を図りましたが、20kgをきっていました。通常自重を支える為に、自身の体重以上は筋力があります。)、少し歩くだけでも大量の時間がかかりました。

傷が癒えるのを待つ獣のように、ひたすらベッドにもぐりこみ、大凡1ヶ月経過後、ようやく外を歩けるようになりました。

入院前と比べ、体重は5kg以上落ち、アバラが浮き出ていた事を覚えています。

 

まとめ

まあ、こんな感じですが、鎮痛剤と解熱剤が切れると頭痛と熱でとっても動けなくなるので、活動時間は短いです・・・。

 

というか仕事復帰できるのが結構遅くなりそうで、そっちの方が一番不安・・・。※結局、仕事に復帰できたのは、入院してから2ヶ月以上経過した後になります。

まあ、でも考えても無駄ですし、今はゆっくり休養するだけですかね。でも、病院消灯時間が21時30分って早すぎるでぇ ・・・。お慈悲を・・・。

 

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 ウマキ